選択してまとめる能力は金になる

企業のマーケティング部に席を置き全体を見ている。

社で日経MJ日経ビジネスを購読している。それに隅々まで目を通し関係あるな重要だなと思うものを選択し、まとめてスタッフに配信するのが大切な仕事のひとつだ。

本当は全員が読めばよいのだがそんな時間はない。だからひまで時間がある私が、みなの時間を節約するためにその役を買ってでているのだ。

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情報を入手するのが困難な時代にはそれを集めてくる能力に価値があったが、あふれまくっている現在はその中からこれはと思うのを選びまとめ提供するキュレーション能力がお金になる。

私の好きな言葉に「神は言った、選べそして全力を尽くせ」というのがある。ローマの古いことわざなのだが座右の銘として横に君臨し生きる助けとなっている。

情報を発信すること、それを取りまとめて提供すること、両方の能力があると鬼に金棒である。弊所のアフォガートマーケティングはそれをベースに成り立っている。御社の商品を売るために訴求および教育をしていく必要がある人には学んでいただきたい。よろしければ是非。

マスがマスに売る時代は終わった。ニッチがニッチにでいい。

サーフィンの中級者、しかも後ろ足に乗りすぎて上達しない中級者という限りなくニッチな世界に対して、会議室で理屈しか理論しか教えませんという形から事業をスタートした私。

その後それは縦に横に広がりを見せた。

現在はいくつかの企業や団体のコンサルティングをしているが、それは全て個別対応であり提供するそれもそれぞれバラバラで細かい。ある企業へ提供しているコンテンツは、記事を作る際の構成と文言のみ、ある企業へはルートセールスに特化した『2回目以降のクライアントへの訪問手順』であったりとか細分化している。

これが可能な時代が10年ほど前に始まったが、それがますます進んでいるなと感じるのが昨今のビジネスシーンだ。

スーパーマーケットはイオン一色になり、そのイオンもくる死んでいる。スーパーがどんどん吸収合併されている時代はネットがまだ今ほど発達しておらず、ある程度お金をかけないと集客ができなかった。だから小中規模の小売は経営が苦しくなったのだ。

今はそれが一変。

個が個に対して作った手作りの一品が、確実にそれを欲しがる人の手に渡るという手段とインフラが確立したのだ。この手法を大手も大いに参考にし、これはあなただけのために作ったあなたのための商品ですよという体で商品を提供するようになった。

マスがマスに向けて提示、それが大いに売れるということももちろんあるが、規模の理論に真っ向から対抗しなくてもなんとか展開できるようになったのだ。そして、むしろニッチに売るべきだ。

先日、定期的に開催している朝市の準備をしているときひとりの男性が声をかけてきた「なにしてんねや兄ちゃんたち」年配のオッサンにはこのように失礼な声のかけかたしかできんやつが何でおおいねんと思いながらも「明日ここで開催する朝市の準備をしているのです」と答えた。

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するとオッサンは「野菜とかも売るんか?それやったら、安くせな誰も買えへんで」と言った「そうですね」とだけ答え作業を続けたのだが、その時に思った、このオッサンは客じゃないなと。

本来なら、まだはじめてまもない朝市にはひとりでも多くの人にきていただきたいとおもうので、ぜひいらしてくださいと言っていい。ところがそんな気がおきなかったと同時にひとつの考えが浮かんだのが、この人は客ではないという言葉だ。

別にそのオッサンがうっとうしいからというのではない。もしこの人がうちの朝市にきても、その人に提供できる商品がないのだ。大手スーパーとうちの朝市の差別化のポイントは新鮮さ。採れたての野菜やくだものを36時間とか48時間以内に売る。新鮮なのはうまいからね。

なので安さを求める人は客ではない。上から目線でもなんでもなく、きてもらう労力をねぎらうきもちだ。時間を労力を使ってきてもらってももったいないだけだ。

しっかりとそういった情報をコンセプトを供給しないといけないと感じた。それを機に考え結論づけたのが今回のコラムだ。

商品やサービスを売っている皆さん、あなたの誰かに向けた商品は、それを求める誰かに対して確実に届きます。その方法とインフラはほとんどタダで手に入る時代。あとはあなたがやるかどうかです。

どんどんニッチに行ってください。世界中の人間を対象にすればそれをやる人が人類のわずか0.0001%でも7000人もいるわけですから。

よろしければ是非

マーケティングの弟子からメールがきた

コンサルティングの会社を経営しています。会社と言ってもフリーランスですが。

 

弊所のマーケティングは、コンテンツマーケティング、インバウンドマーケティングバイラルマーケティングをメインに開発した『アフォガートマーケティング』です。アフォガートとはイタリア語で、意味は溺れるです。

 

ブログやSNSで徹底的に情報をだします。例えば私は中級者のためのサーフィン上達ブログを書いていますが、そこではこれでもかというくらい、もういいです、情報の渦に溺れそうですというほどだします。

 

その情報は深ければ深いほどいいです。ちょっとかじったくらい、少し調べたらでてくるような情報ではだめです。あなたの内面と外面をとことん掘ります。深掘りするのは面倒なので、ほとんどの人はやりません。現代人は忙しいし、考えることを避けていますからね。

 

それをあなたがやればいいのです。そして継続して、まあとりあえずブログでいいので発信しまくってください。やることはシンプルです。あなたの得意分野や好きなことを徹底的に掘り下げ他者の追従をゆるさないくらい書き続けるだけです。

 

弟子から「みさおさんのマーケティング教えてください」と言われた時にこう説明しました。シンプルだからとりあえずブログ書けと。

 

ただし、ただしとその時に付け加えました。このマーケティングには欠点が2つある。ひとつはものすごく労力がかかること、もうひとつは、結果がでるまでに時間がかかるかもしくは結果がでないこと。この2つを受け入れられないのならやらないほうが絶対にいいと言いました。

 

彼は、とりあえずやってみますと言ってはじめました。文字通り最初は全然でアクセスもまったくありませんでした。それでも彼は信じてそれをやりつづけました。自分でブログの講座にも参加してそれを続けました。

 

するとなんということでしょう。

 

ブログで売るとも買ってとも全然書かないにも関わらず商品がまったく知らない人から売れたというのです。3年ほどだったのかなあ、ここまで続ける人は10人に1人もいません。たいがいまったく結果がでないから、アクセスが伸びないから辞めてしまいます。

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それが普通ですよ、続けたって結果がでるかどうかわからないからね。でもね、やったらわかるけど、まったく結果がでなくても3年間ブログの記事を書き続けるっってものすごい価値です。スキルが恐ろしくあがります。書くって作業は思っている以上に大変で脳とか思い切りつきます。

 

わかりやすい文章を書くために構成力と編集力がつきます。浅いのは駄目ですよ、深掘りしないとそのスキルはつかない。村上春樹もものすごい深いところにしか書きたいことはない、どれくらい掘れるかだと言っています

 

同じく作家の森博嗣は、結果でなく過程が大事だと、死に例えて言ってます。ゴールが死だとすれば死に意味があるか、死ぬまでの生き様が大切なんだと。

 

そう考えると、3年後にまったく商品が売れなくても書いてきた経験が財産になるわけです。これはわたしも思います。でもやってみないとわからないでしょうね、弟子は今痛感していると思います。だから師匠ありがとうとメールをよこしたのです。

 

もしあなたが、今の仕事に満足できず将来起業したいなあとおもうなら、とりあえずブログでも書いたらと思います。副業が禁止であろうが、何も売らないのだから、ブログを書くだけなら業務違反にはならないでしょう。

 

実際私はサラリーマンの時代に、中級者にサーフィンを上達してもらいたいという思いだけでブログを書いていました。当然何かを売ったりする予定はありませんでした。ところがフタをあけてみたら、そこから色々なものが売れています。講義であったり講演であったり、個別レッスンであったりコンサルであったり。

 

そこから派生して、最近ではマーケティングのコンサルの仕事が増えてきました。アフォガートマーケティングをぜひやりたいから教えてくれと。大変やから費用対効果は悪いからお薦めしませんがと言いながらやるべきことを伝えています。

 

売れへんねん、ラインがええかなあインスタかなあってゆーてんとブログ書いてお客様をお客様候補を溺れさせればいい。そうすると商品なんて勝手に売れてくるから。ただし時間はかかるからね。それでもよければ是非。

カズオ・イシグロさんが小説を書く意義について語ってた

ノーベル文学賞カズオ・イシグロさんが番組で語っていて大いに共感したことがある。なるほどと腑に落ちた。

「事実を伝えるのがノンフィクションやドキュメンタリーで、小説が伝えているのは真実だ」

と聴講者の「小説って何?」という質問にそう答えた。

 

自分が共感して欲しい、共有したいという考えや思いを比喩という形にして小説で伝える、小説を読むのは書き手の思いを共有し、共感したいからなんだと言ってた。

 

なるほどと思った。私は本が好きでノンフィクションもフィクションも読む。どちらかと言うと物語より真実が実用書が好きでそちらのほうを読むことが多いのだが、たまに、いや定期的に小説を読みたくなる。なんでだろうと思ってたのだが合点がいった。

 

ブログやメルマガや記事を1日に8000文字ほど書いて世に放っているのだが、明確に何故そうしているのかがいまいちわからなかったのだがこれでわかった。

 

思いを共有したいのだ。

 

これで安心して書き続けられる。こういうことってあるよねってことだ。引き続き書いていくことにする。